Wednesday, May 30, 2012
記憶喪失になった人が唯一残されたツイッターアカウントに飲酒運転なうとつぶやき炎上することで個人情報を取り戻していく物語 ふぁぼったー / foxintube (via squarejewel)

(via squarejewel)

Sunday, May 27, 2012
裕福だってのは、あるいは、隣人と無関係に生きられる度合いを高めるってことなのかもしれないなと。他人がどうしてようが一生の生活が安泰だという保証があるなら、そりゃ世の中のほとんどのことには「寛容」でいられるだろうなと。知的エリートのリベラルな寛容さってそういうことでしかない。 Twitter / NaokiTakahashi (via katoyuu)
Friday, May 25, 2012
 今からおよそ200年前、世界最大の都市といわれた江戸の町で、互いに気持ちよく暮らすために生まれた「江戸しぐさ」は、言葉遣いをとても大事にしていました。もともとが商人のしぐさなので、どんな身分の方にも失礼がなく快い言葉遣いを大切にしています。感情を逆なでするような言葉遣いは、心を乱し、いじめや争いごとをまねくため、やってはいけないしぐさとされていたのです。

 江戸しぐさは生活哲学。その会話術も、今の時代に通用するものばかりです。

■戸閉め言葉

 「でも」「だって」「しかし」「べつに」「そうは言っても」などと否定して、人の話を途中で遮ったり無視するような言葉で相手をシャットアウトしてしまうことから「戸閉め言葉」といいます。

 人の話を最後まで聞かないことは失礼にあたり、謙虚さを大事にする江戸しぐさでは、自己中心的な人とみなされたそうです。

 また、自分の話を聞いてくれない人を本能的に避けてしまうため、「戸締め言葉」は相手の言葉を受け入れないばかりか、相手の心を閉ざしてしまう言葉なのです。

■水かけ言葉

 人が気持ちよく話をしているのに、「それがどうした?」と冷や水をかけるような冷たい言葉や、「そんなこと知ってるよ」と小馬鹿にしたり、けなすような言葉を「水かけ言葉」といいます。

 誰とも付き合わずに暮らしていくことはできませんから、話の腰を折り、人間関係を壊すようなことは慎むべきで、たとえ自分とは縁遠い話題であっても、その場の雰囲気を壊さず聞いているのが、江戸の人々の心得とされていました。

■刺し言葉

 「刺し言葉」とは、「だから?」「はーっ?」など、会話を断ち切ってしまうような言い方で人の感情を逆なでしたり、とげとげしい言葉遣いのことで、「胸刺し言葉」ともいいます。こうした言葉が出てくると、会話を続けたいという気持ちもうせてしまうでしょう。

 また、「あなたが悪い!」「どうせ他人」のような、反論の余地もないような断定的な言い方も「刺し言葉」とされ、その場の雰囲気だけではなく、人間関係も壊しかねません。

■手斧言葉

 手斧(ちょうな)とは、木材を粗削りするための斧のこと。「うるさい」「馬鹿野郎」「殴る」「殺す」といった乱暴な言葉遣いを「手斧言葉」といい、言ってはならない言葉の凶器とされていました。

 ただし、江戸の人たちは、そんな乱暴な返答をされるようなことを自分がしたから、そのつけがまわって来たんだととらえ、「手斧言葉」は言われたほうにも非があると考えていたそうです。
「江戸しぐさ」に学ぶ、嫌われる言葉遣い (via itokonnyaku)
妹が「貧乳って言われると悲しい」って落ち込んでるから気を遣って「低脂肪乳」って言ったら久々に喧嘩が始まった Twitter / arisawa02 (via shingi)
Monday, May 21, 2012
いいかげんな知識で議論する人の方が、声が大きくて白黒はっきりしているので皆に受けいれられやすい。知識が深く濃くなるにつれ物事がそう割り切れるものばかりでないことがわかってくると、一般受けするように簡単に言えなくなる Twitter / makotoshiga (via rpm99)
Friday, May 18, 2012
ところが昨今、訳の分からない連中が増え過ぎまして、
ここ海ですよー!
って言っても分からないんですね。
やれ、服が濡れただの、水が塩っぱいだの言うわけですよ。さらには、深すぎて取りに行けないとか言い出したり、溺れてしまったがどうしてくれるんだとか言い出す始末なのです。
海だっつってんだろバカ!

インターネットがめんどくさいので現実に逃げたい

ああ、すごくわかる

(via mitaimon)

(via mitaimon)

Thursday, May 17, 2012
弘法は筆にうるさかった事も知られており、任地から送った「都と違いド田舎すぎてロクな筆が手に入らなくて困る」などという手紙も残っている。道具を言い訳にはしないが、拘る余裕のあるときは拘るのがプロ はてなブックマーク - 弘法は筆を選ばないが、ギークはキーボードを選ぶ - 表参道フォークウヱル別館 (via tyru)

(via tyru)

70年代を通じて、アメリカ合衆国の学校でのイジメの理由の1位は「脇の下が臭いこと」で、次が「数学ができること」だった。
なんだか冗談みたいだが、数学ができるせいで自殺しなければならなくなった高校生もいた。
その頃のアメリカでは公立高校みたいなところで数学が出来るのは「せこいやつ」でクールでない、ということだった。
きみの種族の一部には、数学が(大きい声では言わないにしても)レモンメレンゲよりずっと好きだという訳のわからん人間がいる。
当時は、そういう人間は息を殺すようにして、ボストン郊外のケンブリッジという町にあるMITという巨大なキチガイ部落をめざしてベンキョーした。
そこにさえ辿り着けば、フットボールと女の子たちを「やって」しまう以外に才能なんてなにもないバカタレに胸ぐらをつかまれてネットにおしつけられたり、悪罵に我慢できなくなって立ち向かったあげく、校庭の砂をかんで、「クールガイ」たちの嘲笑を聞いたりしなくてもいいと誰かが言っていたからである。

はいってみれば、実際そこは天国で、きみはすっかりコーフンしてしまい、大学に近い橋が「なんひきずり」であるか実地に検証するために、級友をひきずって「ひきずり」の数を橋に刻みつけたり、やたらとモンティパイソンのセリフがはいる土曜の夜のバカ騒ぎに熱中して、テーブルの上にとびのってビーチボーイズのカラオケを熱唱したりした。

あるいは80年代の東京のきみの種族は、そもそも「制服」というものが嫌なのではいった6年制の中学から、やってるんだかやってないんだかいかにも判然としない学校にのらくらと通いながら、物理部無線班の正しい伝統に順って、ハンダゴテをにぎりしめ、昨日京橋フィルムセンターで見た小津安二郎の映画や、「博士の奇妙な愛情」について、友達ときゃあきゃあ言いながら冗談に打ち興じた。
東京大学に行ったのは、要するに「バカと会いたくない」というきみのだいぶん尖った、社会の大半をなしている人間への敵意のせいで、しかし、問わず語らず、きみの友達の大半も同じ理由で他の大学には行きたくなかった。

いざ大学にはいると、今度は同じ高校の友人たちもだんだんに色あせてみえて、ひとりでいることが多くなった。
お茶の水から坂を降りて、神保町の町へでて、一誠堂や東京書店を巡って歩くのがきみの習慣になった。
夕方には、井の頭線に乗って家に帰る。
急行がとまらない小さな駅で降りて、
今日こそは熱力学に決着をつけてくれるわ、と考える。

大学に行ったのが就職のためなんかでなかった証拠には、きみは修士課程を終えると社会に背を向けるようにプーになってしまった。
友達が嫌らしい笑顔で「将来どうするんだい?」と訊くと、興味すらなさそうに「飢え死にするから良い」と答えた。

いつか、どこかで « ガメ・オベールの日本語練習帳v_大庭亀夫の休日 (via ginzuna)

(via ginzuna)

Monday, May 14, 2012
お金を稼がなければ生きていけないという当たり前のことに、大変憎悪を感じます。そのうえ、無能ゆえ自分にできる限界ギリギリで働いても、糊口をしのぐ程度にしか稼げないという現実がウソみたい。バカみたいな話ですが、わたしはいまだに、そしてたぶん死ぬまで「好きなことだけをしていたいのに、それだと生きていけなくて、会社員として働かなければ暮らせない」という現実に腹を立てている。でも、こういういつまでも労働への信じがたさを抱えているという幼児性が、自分の生い立ちに培われたものであるし性根なのだと痛感もしています。 2009-01-12 - 真魚八重子 アヌトパンナ・アニルッダ (via yuco)
Wednesday, May 9, 2012

たとえば、音楽会に友人と行った時、日本人同士だと

* Aさん:「今日はよかったね。」
* Bさん:「本当に、よかったね。」

で会話が成立する。この会話は過不足ないものと感じられることが多い。

一方で、それが日本人とローコンテクスト文化圏の人(アメリカやヨーロッパ)だと

* 日本人:「今日はよかったね。」
* 欧米人:「どこが、どのようによかったの?」

と聞き返される。ローコンテクスト文化圏の人にとって、この返しは普通の返しだけれども、日本人にとってはびっくりする返しに感じることが多い。

妄想:会社がコミュニケーション能力を求める理由 - 発声練習 (via mcsgsym)